[愛が分からない!]

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「――となり、この式を単位時間tで微分すると――」
 教壇に立った物理教師がなんとも気の入らない声で説明をしていた。その声につられてか、沈没船が何隻も出来上がっている。教師は教師で、それに気付いていても咎めようとはしない。
 その中、僕も真面目に授業を受ける気がしなかった。かといって眠気もないので、こうして窓の外の世界を見つめている。
 世間は十一月の終わり。纏う衣がなくなった裸木が哀愁を誘っていた。よく見ればスズメバチの巣があったりして、春、夏に何もなかったのが不思議なくらいだ。
 視線を黒板に戻す。癖のある字が占領する板を見つめ、ノートに写し始めた。昼休みが直ぐそこまで迫っていた。

 チャイムとともに教師は授業終了を告げた。週番の合図で礼をし、教室に喧騒が溢れ出した。変わらず寝続ける者。友人と話に花を咲かせる者。財布を握り締め、死地(学食)へと駆け出す者。弁当を取り出しつつ、勉学に励む者。実に多種多様だ。
 かく言う僕は財布を持って購買へと向かった。殺人的な人ごみを有する学食とは違い、購買はそれほど混まないのでお気に入りだった。
 購買に着くと、やはり混んでいない。目当てのパンを繕って購買を後にした。ヨーグルトパンとスープパン。明らかにイロモノ系のパンだ。だが、これが美味いのだ。ファンも少数だから確実に調達できるのもポイントが高い。
 自販機でマックス甘いコーヒーを買い、階段を登る。冷えた空気を押しのけるように進む。
 特別教室がある棟の一番上。屋上――の手前、その踊り場が僕のお気に入りの場所だ。誰も来ない、騒ぎ声も聞こえない。本当に静かな場所だ。
 一部は物置とされているようで、要らない机と椅子が運び込まれていたりするので、席には事欠かない。
 早速手前にあった椅子の椅子を引いて腰掛ける。机の上に先ほど買ったパンと飲み物を置いた。
 ふと、横を見てしまう。今座っている机の隣。そこにももう一組机が置いてあった。多少誇りを被っているが、それでも他のと比べればかなり綺麗だ。
 ――あれから、もう一年が経つ。
 感慨にふけてしまった。らしくない、と頭を振った。僕がそんなこと考えることは許されない。
 もう一度頭を振ってパンの包装を解き始めた。
「やっぱりここにいたのか」
 不意に声が届いた。声の方向を見ると、茶色の髪の毛をした生徒が上がってくるところだった。左耳にピアスが光っていた。
「探したぜ」
「探したってほどじゃないと思うけど」
「まあ、啓介が昼休みに行くところっちゃ、購買かトイレかここだもんな」
 言いながらさっき見ていた机にどかっと座った。
 彼は横井浩平。制服を着崩すわ髪を染めるわピアスをするわの不良の代表格だ。そんな浩平と僕が仲が良いと言うのは、人生何が起こるか分かったものじゃない。
 浩平は自分のポケットを探り、箱状の物を取り出す。
「校内禁煙だよ」
「ちぇ、固いなぁ」
 渋々それをポケットに戻す。ま、こういったことは日常茶飯事だし、驚くことはない。そりゃ、付き合い始めの頃は驚いたものだったが、もう慣れてしまった。人間は順応する動物なのだと悟ったのもその時期だ。
「で、浩平は何の用で?」
「そうそう、ちょっと教えて欲しいんだよ」
 机の上にそっと出される。本だ。表紙にはこう書いてある。
 ――物理U――
「物理か……どこら辺? 章によっては答えられないけど」
「電磁気のところ。得意だろ?」
「得意ってか、点数取りやすいだけだよ」
「それでも解けるんだろ? だったらいいじゃん」
「仕方ないなぁ。で、電磁気のどこよ」
「ここ」
 教科書のページを開き指差す。ちょうどそこは自分の理解の範疇に入っていた。
「ああ、ここはね――」
 僕は浩平に説明を始めた。

 横井浩平。見るからに不良の彼と僕が出会ったのは、去年の夏休み前だった。出会いはいつも突然、とは言うけど、僕達はまさにそうだった。
 最初のきっかけは何だったんだろう。とりあえず、僕は浩平に話しかけられたのが始まりだ。

「よう。アンタ、後藤啓介……だろ?」
 教室にずかずかと入ってきて、急に声を掛けられた。それだけで驚きものだ。
「え、あ、はい」
 声の主を見ると、悪名高い不良がそこにいた。いや、悪名、というのはどうだろう。結局彼は何も事件を起こしてないし、問題も起こしてはない。ただ、普通に外見がアレなだけだった。といっても、当時の僕にそれが分かるわけもなく、背筋を伸ばして浩平と対峙する羽目になった。
「ちょっと用事があるんだ。こっち来てくれ」
「え?」
 僕の返事も聞かずに僕の手を取って浩平は教室から廊下、階段へと連れまわす。そして最後に到達したのは、図書室だった。
「風の噂で聞いたんだが……後藤、期末良かったらしいな」
「え、あ、まあ」
 浩平を目の前に肯定とも否定とも取りにくい返事を返すしか出来なかった。だが、彼はそれを肯定と取ったようだ。
「そっか。そこで頼みがある」
「へ」
「俺さ、見たまんま成績悪くてな。夏休み補習がある」
「はぁ」
「それで、頼みがあるんだ」
 まさか変わりに受けろとか、そういうのじゃないだろうな。そう思って少々身構える。だが、続けられた言葉に肩の力を抜けさせられた。
「勉強を教えてくれ」
「は?」
「だから、勉強だよ」
「あ、ああ。なるほど」
「悔しいことに俺は後藤に何も出来ることはない……虫のいい話かもしれないが、この通り」
 がばっと腰を折る浩平。流石に人の少ない図書館と言えども、普通の生徒相手に不良が頭を下げる姿は明らかに人の目を引いていた。
「ちょ、横井君――困るよ」
「ダメ、なのか?」
「ダメと言うか……目立ってる」
「…………ごめん」
 そう、この一言だ。この一言で直感したんだ。浩平はいいヤツだって、そう思った。
 それから放課後に勉強を教えたり、夏休みは遊んだりした。僕の直感は当たっていて、浩平は身なりは不良っぽいけど、中身は単純にいい人だった。
 勉強が進むに連れて、浩平は次第に勉強にのめり込み始め、なんと三学期の期末テストでは最下位層から中間層へと大きく変貌を遂げたのだ。
 それからと言うもの、勉強にすっかりはまり、こうして僕の元へと質問に来るのだ。ちなみに今の浩平は中間層から上位層へとくい込み始めている。教えている側としても大変うれしい結果だ。

「――ってこと。大丈夫?」
「ああ、なるほどなるほど。変に覚えてたよ。これでやっと問題が解ける」
 満面の笑みを浮かべる浩平。この笑顔が凄くうれしい。
「浩平って、ほんと勉強好きだね」
「ははは、啓介ほどじゃないって」
「僕はそんなにしてるつもりはないんだけどなぁ」
「この、成績上位者が何を言いますか。この前のテストも十位以内入ったんだろ」
 肘でわき腹を小突いてくる。
「うわ、バレてた?」
「バレバレだよ。啓介の名前は良く出るからな」
 うりうり、とさらにわき腹に肘を入れてくる。
「ちょ、そんなに――ん?」
 視界の端に、何かが映った。だが、それは一瞬で、判断する前に消えてしまった。
「どうした?」
「誰かいたような気がしたんだけど……気のせいかな」
「気のせいだろ」
 もう一度そこをちらりと見て、それから浩平と話に花を咲かせて昼休みを過ごした。

「好きです。付き合ってください」
 月並みな台詞。それが響き渡ったのは、冬休み間近で閑散とした廊下だった。日は沈みかけ、リノリウムの床が朱に染まる。場所は――物理室の前だったような気がする。あまり良く覚えてないのは、その時の僕は気が動転していて頭が上手く回らなかったからだ。
 相手はクラスメイト。クラスの中では落ち着いた印象のある子で、影の薄い僕とどこか似ている人だった。と言っても僕の場合は影の薄い、と言うよりは浩平の友人と言うことで多少距離があったのかもしれない。どちらにしろ、関係ないことだ。ただ、彼女はそんなことを気にせずに話しかけてくれる、変わった人だった。
 部活が休みでぶらりと二人で歩いていた最中での出来事。予想もしなかった言葉にパニックを起こしかけた脳で僕はなんと答えたのか。今考えても、気の利かない言葉だ。
「僕は……嫌いじゃない」
 それはどっちに聞こえただろうか。肯定か否定か。ただ、潤いを帯びた瞳が夕日で光っていた。
「ただ」
 接続詞。暗に否定を示唆する単語。それを耳にした彼女は目を見開いた。それを見て、それでも僕は続けた。
「まだクラスメイトとしてしか見ることが出来ない」
 瞼を閉じて声にならない嗚咽を漏らす。それでも、それでも僕は続ける。
「けれども、これから好きになることは出来る。まだそんな風に見れないけど、それでもいいのなら。僕なら、喜んで」
 その瞬間、大粒の雫が彼女の頬を伝い落ちた。床に出来た小さな小さな水溜り。
「う、ぐすっ……」
 溜まった涙を少し乱だけ暴に拭う。ウサギのように真っ赤になった瞳で僕を見て、そして震える声で小さく微かに。
「ありがとう」
 その言葉は一年が経った今でもこの耳に焼き付いている。

 もう受験間近の僕は部活を引退している。しているはずなのに、どうしてここにいるのだろうか。
「後藤先輩? どうしたんですか?」
「あ、ああ、ちょっとボーっとしてた」
「ちゃんと射を見てくださいよー」
 グラウンドの隅っこにある弓道場。そこで僕は現役の部員に混じって部活をしていた。と言っても引退している身ではあるので見るに等しいけれど。なんとなく気が向いてここに訪れた次第だ。
「先輩は引かれないんですか?」
「ん、ちょっとね」
 今は弓を引く気分じゃない。だけど、ここにいたい。居場所が有るような気がするから。
 目を細めて的を見る。遥か28メートル先のそれは動くことなくそこにあり続ける。動くのは弓を引く人間だけ。敵は、いない。それが他の武道にはない点だ。つまりは、己のみが中り外れを左右できる。それ故に、自己鍛錬に優れた武道だと思う。いい加減な気持ちで引けばいい加減な結果が帰ってくる。そんな世界だ。こんな淀んだ気持ちでは、結果は分かりきっていた。
 練習終了まで道場に居たかったが、浩平から呼び出しを受けたので先に失礼して道場を出た。場所はいつもの喫茶店。駅前通りから一本路地に入ったところにあって、静かな場所だ。ここは浩平のお気に入りの場所だ。
 カランカラン。
「いらっしゃいませ」
 入り口の扉を音を鳴らせて店内へ。窓際の角。いつもの定位置に浩平はいた。
「こっちこっち」
 静かな店内にそぐわない大きな声にマスターと一緒に苦笑して向かった。
「どうしたの?」
 また勉強だろうか。
「いんや。偶には啓介と遊ぼうと思ってな」
「遊ぶって……僕以外に友達はいないの?」
「いたらとっくに声を掛けてるよ」
 ぶすっとした表情を作る。
 そう、浩平に友達はあまりいない。形(なり)はこんなのだし、最初はそっちのほうの友達はいたらしい。けれど、勉強を始めてから一人、また一人と彼の周りから消えた。結局残ったのは僕を含めた数人だけだった。
「ま、新しくつくろうとも思わないしな」
 今度は太陽のような笑顔を浮かべる。こうした表情は人懐っこいもので、どうして友達が出来ないのか不思議だ。少なくとも、僕よりは多くても不思議ではないのに。
「彼女も?」
「そういうものは必要になったら出来るもんだよ。今は必要ないね」
 と言うことはいないらしい。顔はいいのだから居てもおかしくないと言うのに、この人。まだ一度も彼氏彼女の関係になったことがないというのもまた驚きだ。風の噂ではホモって話もあるくらい。
「言っておくけど、ホモじゃないぞ?」
「わかってるって」
「ただのゲイなんだから」
「浩平、今までそれとなく楽しかったよ」
 席を立つフリをする。
「ちょ、冗談冗談」
「分かってるよ」
 本当、分かってる。いつもの掛け合いに苦笑しながらマスターがコーヒーを持ってくる。何も言わずともいつものを持ってきてくれる。もう僕もこの店の常連だった。
「ありがとう」
「ごゆっくり」
 簡単な挨拶をしてマスターはカウンターへ引っ込んでしまった。あれでもこっちの話には耳を傾けていて、僕達の話に突っ込んだり助言をくれたりしてくれる頼もしい人だ。肩書きは帝大理系卒で、どこぞの研究所で研究職についていたという。それが今や、コーヒーのブレンド研究に凝っているのだからこの世の中何があるのか分からない。
「それで、どこに遊びに?」
「そうだな……」
「決めてなかったの?」
 呆れた表情を作る。浩平が決めてないのはいつもの事だけど、毎度毎度決めてから呼んで欲しいと思っている。思っているだけで言いはしないのだけど、多分僕がこの空気が好きだからだと思う。
「ま、通りに出てから決めるか」
「いつもそれだなぁ」
 いつものこと。そんないつも。浩平の行き当たりばったりさに、やっぱり僕もいつものように苦笑した。コーヒーを飲み干し、五百円硬貨をそれぞれ一枚ずつをテーブルに置いて店を出た。
 繰り出した街は紅く染まり始めていた。通りに沿った店々は我先にと電飾鮮やかに輝かせる。特有の眩しさに目を細めて浩平を見る。浩平も少しだけ目を細め、若干ながら眉を顰めていた。
「どうする?」
「どうするかなぁ……まあ適当にぶらぶらと」
「ぶらぶら、ねぇ。毎度それじゃつまらなくない?」
「つっても、他にすることがある訳じゃなしに」
「勉強しなさい、勉強」
「それはそれ、これはこれ」
「ま、別にいいけど」
 浩平の成績なら問題はないだろう。素行の問題で国立は難しいけど、私立なら大体のラインは余裕だ。素行の問題といっても、浩平は遅刻はしないし、サボリもしない。実に真面目な生徒と言ってもいいだろう。彼の場合はその容姿。染まった髪、だらしなく気崩した制服。左耳にはピアス。教師が不良と認定するには十分たるものだったようだ。
 僕はと言えば、浩平の逆だ。制服はだらしなくなる手前で着ているし、髪も染めていない。ピアスだってしていない。遅刻は……あまりしない。欠席もあまりしない。サボりもあまりしない。考えようによっては、僕のほうが素行に問題があるようにも見える。けれど、浩平があまりにも目立ちすぎて隠れてしまう。そういう意味では僕は浩平を隠れ蓑にしていないとも言い切れない。けれど、そんな面一切抜きに、友達をやっていたい。それが本心だ。
「カラオケでも行く?」
「ん、別にいいけど、二人だけで?」
「……それもそうだったな」
 時間的にもうすぐ夜。その中を男二人がカラオケに入る、というのは如何ともし難い状況だ。
「じゃあ、ゲーセンで」
「まったく、いつも通りなことで」
「その台詞もいつも通りなことで」
 僕達は軽く笑って、駅近くのゲーセンへと足を進めた。
 学生服が席の大半を占めるそこで僕はベンチでボーっと座っていた。するゲームがあるわけもなし。ただ、こうして他人のプレイや浩平を見ていたりするだけで満足だった。ゲーム筐体が響かせる重低音にボタン音、激しい曲調のBGMがごたまぜになった奇怪な音楽。それが耳を塞ぐ。
 自ら耳を塞ぐ必要性のない空間。他人とコミュニケーションを取るには大きな声――つまり、明確な意志があり、伝える覚悟が必要とする。一人になる空間には最適なものだと言えよう。
「よし、三人抜き」
 浩平が小さくガッツポーズをした。浩平は対戦格闘ゲームをしていた。
「お、頑張ってるね」
「まあね」
 三人目が席を立つと即座に四人目が乱入する。対戦台ならではの光景だ。浩平は乱入者に驚きもせず淡々と自身のキャラクターを動かす。そして淡々と負けた。
「相手、強いな」
「そうだね」
 それだけで会話が終わり、浩平は次の人へと席を譲る。そのまま僕の横に腰を下ろした。
「喉渇いた」
「買えばいいじゃん」
「高いんだよ、こういうところは」
 そう言って力なく笑った。それを見て僕も力が抜けた笑いを返した。
「分かってても、やっちゃうんだよな」
 惰性。そんな単語が脳裏を掠めたが口にはしなかった。どうせ、浩平は分かっている。そんな気がしたから。
「啓介はやらないのか?」
「うん、見ているだけでいいよ」
「とか言って、本当はないんだろ?」
 人差し指と親指でわっかを作る。
「あははは、そんなところ」
 ほんの僅かだけ、肩を竦めた。居心地が悪い気がして、立ち上がり歩き回った。興味もないゲームを見て、興味もないクレーンの景品を見て、興味のないメダルの景品を見て。さして興味のないゲーセンの探索は早くも終わりを告げ、浩平の横に再び腰を落ち着けた。
「なんかいいのでも見つかった?」
「いんや」
 浩平はいつの間にか缶ジュースを持っていた。
「買ったの?」
「誘惑というものは勝てないから誘惑なんだ」
 惑わすから、の間違いだろう。だけど指摘する気力も湧かない。余っていた気力は全て浩平への罵倒とジュースの奪取に使った。
「違う、バカ。もらい」
「三単語!?」
 驚いている隙に二口だけ貰う。無果汁なのにオレンジ味、その化学じみた甘ったるさがどこか懐かしくて美味しかった。炭酸を鼻から吐き出すと、少しツンとした。
「無気力だな」
「そう見える?」
 浩平は小さく頷いた。人に気力のない姿は見せないように心がけていたつもりだったが、浩平には見極められていたようだ。大した観察眼。素直に感心してしまった。
「ああ。今日は特に。何かあった?」
「んー。ちょっと鬱が入っているだけかも」
「そっか。ヤバかったら病院いけよ」
「ん、分かってる。けど、思うわけだよ、浩平君」
「どうした啓介君」
「鬱の人は、自分から病院には行けないと思うんだ」
「……帰ろうか」
「突っ込みもなしに?」
「生憎、俺の力量じゃそれを生かしきれる突っ込みは出来ないんで」
 缶の残りを一気に飲み干し、帰り際にゴミ箱にそれを入れていた。
 街はすでに夜と化していた。電飾が目に痛いほど輝いていたがゲーセンのほうがよっぽど光っていて、それが眩しいとは思えなかった。目を細めることもせずに、ただ日々冷たさと鋭さを増す空気に呪いを篭めてため息を吐いた。
「啓介、明日は?」
「勉強か部活」
「ははん、いつも通りだな」
「そういう浩平は?」
「勉強か遊び」
「ははん、いつも通りだな」
 浩平に同じ台詞で返すと悔しそうな顔をしていた。基はといえば、浩平が僕と同じような答えをしたのが悪いと思うのだ。よほど鈍感でない限り、それは前フリだとしか捉えられないというのに。
「今日はここら辺でお開きにするか?」
 二人して歩いていると駅まで来ていた。僕はここから二駅下り、浩平は一駅だけ登る。つまり、ここが僕達の別れの場所であった。
「そうだね」
「時刻表はっと……あ、そろそろだ」
「それじゃ、行こう」
 僕と浩平は駅の構内に入るよりも早く定期券を出し、改札へと早足で歩いていった。
 浩平の言ったとおり、ホームに出るとほぼ同時に上り電車が滑り込んできた。僕の待つ下り電車はあと十分ほど待つ。電車の前で軽く別れの挨拶をして浩平は乗り込んだ。それを見送って、僕は下りのホーム、浩平の電車の反対側で電車を待っていた。
 ゆったりとした時間。自分の吐き出す白い息を見つめて物思いに耽る。どうして今日はこんなにも思い出してしまうのか。不思議で仕方ない。普段意識もしないことが、急激に意識しているという自己への違和感。拭い去ることの出来ない汚れのように心の底で固まっている。染み付いたら、最後。そういうものかもしれない。
 一人でいるとどうにも変な風に思ってしまう。単に自意識過剰かもしれない。しっかりしろ、とかぶりを被る。
「何してんの?」
「……須藤さんか」
「当たりー。というか声で分かりなさい、声で。この美声で」
「どの口が言ってるのでございましょうなぁ」
「あらー、あなたの目は節穴か飾りなのかしら」
「…………よう」
「久しぶり」
 軽い応酬があって、それからやっと挨拶に移る。いつの間にか出来た、僕と須藤さんとの暗黙のルールだ。
「何してたの?」
「何も、ボーっとしてた」
 あ、そ。僕にだけ聞こえるような小さな声で呟いた。それから改めて横に並ぶ。
「いつもこの時間使ってるの?」
「ん、まあそうかな」
「ふーん。私はさ、今日友達に相談されて遅くなったんだけど、そっちは?」
「僕は遊んでた」
「余裕ね」
「そんなには。でも息抜きは必要だから」
「確かに」
 そこで会話が途切れた。
 須藤理。理(ことわり)と書いてアヤと読む。初見では絶対に読めないだろう名前の持ち主。こうして横に並べば分かるけど、僕とそれほど大差ない。若干僕のほうが高いくらいで――つまり女子の中では高いほうだ。これでも僕は平均身長にほんの少しだけ足りないくらいの持ち主なのだ。さっぱりとした性格を現すようなショートカットに飾らない言葉。気持ちいいほどに付き合いやすい人間だ。少なくとも、僕よりは。
「何?」
「い、いや。何も」
 いつの間にか彼女をまじまじと見てしまっていたようだ。
「あ、そ」
 またもそう呟いた。癖のようなものだろう。
「そうそう、ケースケ」
「何?」
「今日された相談事なんだけどさ」
「僕に言っていい内容なの?」
「ん、まあ名前出さなければ大丈夫でしょ」
「たしかにそうだけど」
「それでさ、恋愛相談なんだけど」
「パス」
「決断早いね」
「専門外」
「いやいや、男の視点から見て欲しいわけ」
「はぁ」
 思わずため息。街の空気に消えろ。
「んで、何さ」
 仕方ない。どうせ聞かせて来るのだろう、それなら自分で聞いたほうが幾分気持ちがいい。少しだけ肩を落として聞く姿勢を作った。
 相談内容はこうだ。告白したい人がいる。けれど、その人を本当に好きかどうか分からない。最後の一歩が踏み出せないでいる。そんな感じだった。
「で、ケースケ的にはどうなのよ」
 ゆれる電車内。僕はドアに寄りかかり、須藤さんは目の前で吊革を掴んでいた。
「簡単、告白すればいい」
「それが出来ないから言ってるんでしょ」
「告白できないっていうことは、それまでの気持ち。明確な一線があるってこと。自分の感情が、その一線を越えられるか。それも告白の一つじゃない?」
「……まぁ、確かにそれはそうなんだけど」
「本気なら、そんなことなりふり構わず告白できると思う」
「……うん、ありがと。参考にしとくね。けどさ、なんかその答えが妙に手慣れてるんだけど」
「受け売りだからね」
「へぇ」
 誰の、とは聞かない。そこが彼女のいいところ。思えば、僕の周りにいる人は深く詮索しない人ばかりだ。多分、自然と僕が選り好みをしてしまっているのだろうけど。そう考えると、残酷、なんて言葉が見えてきそうで、早く駅に着かないかと願ったりした。

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