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「あいよ」
『クラスメイトで親しい友人』である一之瀬美咲の声で立ち上がる。
ろくに中身のない鞄を持ち、二人で教室から出た。
「今日は『寄り道』しないのか?」
「うーん……まあ、適当にぶらつく?」
「おっけ」
俺たちは他愛のない会話をしながら昇降口へ向かう。
「お、ケースケ今帰りか?」
「おう、これからデートよ」
スパン。
後頭部を素手で叩かれた。
「デデデデ、デートじゃないっっ」
そして不必要な音量で突っ込みを入れる我が『クラスメイトで親しい友人』。
「また今日もかよ。これだから彼女持ちは連れないね」
「はっはっは。お前も作れよー」
ズゴォ。
後頭部を素手で殴られた。
「かか、かの、かのっ、彼女なんかじゃないもん!」
顔を真っ赤に染めて力説する一之瀬。
「けど、毎日弁当を――」
どうもこれ以上話をすると美咲に殺されかねない。
俺はクラスメイトとの話を中断させる。
「いや、俺たちは単に『クラスメイトで親しい友人』で、それ以上でもそれ以下でもないぞ」
行くぞ、と言い、俺は一之瀬を引っ張って昇降口を後にした。
「け、啓介ぇ」
「どうした?」
情けない声を上げた美咲を振り返る。
「……手」
言われて手を見ると、昇降口を出てから手をつなぎっぱなしだったようだ。
「……すまん」
慌てて手を離す。
「まぁ、いいけど」
どうやら許してくれるようだった。
「んじゃ、どこ行く?」
「うーん……」
美咲は唇の下に指を当てて考え始めた。
「……まずは駅前に行こっか」
「おう」
俺たちは話をしながら並んで校門を抜け、駅前へと足を向けた。
「どっか希望の場所とかない?」
「特に――ないかな」
「ゲーセンとかは?」
「私ゲームしないんだけど」
「でもなぁ」
駅前にはなかなかな量の店がある。
そこに行けばたいていの物が揃っている。
だが、放課後という限られた時間の中で遊ぶには広すぎるのだ。
よって、大体の目的を決めていかなければ有意義に過ごすことが出来ない。
「あ、そういえばルーズリーフがもうすぐなくなるから、駅ビルで買って、そこらへんぶらつこうよ」
「おお、それでいいじゃん。考えたら俺もシャー芯切れてるし、あそこの店好きなんだよね」
駅ビルに入っている文房具専門店「彗星」。
あそこは鉛筆から業務用ペーパーカッター(大きな刃でどっすんと切るアレ)まで売っていて、見ていて飽きない店だ。
そこらへんぶらつく――まあ、彗星の隣が書店だから、大方そこで立ち読みというお決まりのコースだ。
「啓介はあそこ、本当に好きだよね。特に事務用品コーナーが」
そう、その事務用品コーナーが俺のお気に入りだった。
事務用のでかいホチキスとか、パンチとか見てうっとりするのだ。
「当たり前だ、事務用品には男の夢とロマンが詰まってるんだ」
「そ、そうなの?」
半ば引き気味に美咲が言う。
「そうなんだ」
「へ、へぇ、知らなかった、なぁ」
「ちょっと引いてる?」
「結構引いてる」
「……後悔してる?」
俺はわざと軽く言う。
だが、その言葉に美咲は驚いた表情を作り、俯いた。
肩甲骨まで伸ばした髪が顔に掛かり、その表情を伺うことが出来ない。
「……な………い」
美咲が小さく呟いたのが聞こえた。
「なに?」
「そ、そんなこと、ないって、言ったの」
美咲はやっと聞き取れるぐらいの音量で呟いた。
「そうかそうか」
俺は嬉々とした声で言う。
それ以上は言ってはいけない。
これ以上は言ってはいけない。
それが、俺たちの流儀(ルール)だった。
実は、俺たちは付き合っている。
つまり、彼氏彼女の関係だ。
だが、想いが繋がったとき、一つのルールが設けられた。
それが、『付き合っていることを他人に知られてはならない』というルールだ。
俺はそんなことないのだが、美咲は「他人に知られるのが恥ずかしい」と言ったのだ。
だから、俺達は『クラスメイトで親しい友人』と互いを呼び、『寄り道』という名のデートを繰り返している。
「うおー、このホッチキスカッコいい!」
彗星に着き、俺達は思い思いの買い物をしていた。
そして俺の目の前には事務用ホッチキスが置かれていた。
「カッコ、いい?」
「ああ、カッコいい」
なんたって80枚も一気に留められるパワー仕様。
それなのに使う力は従来の約半分。
現代工学の英知を結集させて作り上げた、まさに最強の一台といえるだろう。
「うわ、これ高いよ」
「知ってる。だから見るだけなんだ」
美咲の言うとおり、下げられた値札には五桁の数字が並んでいた。
だが、この性能、この厳ついフォルム。
それはその値段にふさわしい姿だった。
「はあ、さっさと買っちゃおうよ」
「お、おう」
少し拗ねた様子で俺の袖を引っ張る美咲に返事を慌てて返す。
それから予定通りに俺はシャープペンの芯を、美咲はルーズリーフとカラーボールペン(コバルトブルー)を買って彗星を出た。
「これからどうする?」
どうせ返事は「本屋寄ろうか」と分かっているが一応聞いておく。
だが、返ってきた返事は予想外のことだった。
彼女お決まりのポーズで考え込んだ後、
「うーん、今日は帰ろっか」
と言った。
「あれ、本屋は?」
「今日はパス」
いつの間にか彼女は先頭に立って歩いていた。
俺は慌てて駆け寄って、その横に並んだ。
「今日はいったいどうしたんだ?」
「さあ」
そのまま彼女は改札を通ったので、俺も通った。
俺達が住んでいるところは、ここから電車で三つほどいったところにある。
ここのような、駅ビルなんてない、小さな駅のある、静かな町。
そこが俺達の住む町だった。
俺達はあまり会話もなく、来た電車に乗り込み、いつもの駅で降りた。
降りる駅が同じだからと言って、俺達はそれこそ近くに住んでいるわけではない。
俺はこの駅まで自転車で二十分近く走らないといけないが、美咲は歩いて五分のところに住んでいる。
だから、同じ学校に通ったことはないし、まして遊んだこともない。
今通っている学校で初めて会ったのだ。
彼女は一言も発しないまま、ずんずん進んでいった。
怒った様子は見られないが、彼女の行動が何を意図しているのか、全く分からない。
俺も自転車を回収して、彼女の後を追った。
果たして着いたのは、見知らぬ公園だった。
「どこだ、ここ」
美咲が立ち止まったのを確認して、俺はその後姿に声を掛けた。
「ここは、公園だよ」
分かりきったことを言う美咲。
だが、俺はそれに突っ込まない。
彼女は、何らかの意図があるからここにきているのだ。
なら、その話を折るわけにはいかなかった。
「優しいね、私が話すのを待ってくれる」
そこでやっと振り返ってくれた。
気づかなかったが、夕日が沈もうとしていた。
紅く染まる肌に、黒髪が輝く。
「そうか? ――あ」
ガシャン。
いきなり美咲が動いたかと思ったら、いつの間にか抱きしめられていた。
ぎゅうっと、力強く、おそらく彼女の有らん限りの力だろう。
衣服越しにその身体の柔らかさ、暖かさが伝わってくる。
不意のことに反応しきれず、自転車を倒してしまった。
「……全然、後悔なんてするわけないじゃない」
いったい何のこと言ってるのか、分からなかった。
だが、すぐに彼女の言わんとしたことを理解した俺は、彼女の背中に腕をまわす。
「ん、もっと、強くしていいよ」
言われたとおりに腕に力を込める。
繊細なガラス細工のような身体を壊さないように、慎重に。
「んー、ぎゅー」
決して他人の前で見せない、俺の前だけでしか見せない甘ったるい声。
目を細めて微笑むその姿に心を奪われる。
「ぎゅー、ぎゅー、ぎゅーーーー」
ゆっさゆっさ、と身体を上下左右を揺らす。
「ぎゅっぎゅっぎゅっぎゅ、ぎゅーー」
嬉しそうな声。
普段は割りとサバサバした印象のある美咲から考えられない行動。
「どう、満足した?」
しばらくして大人しくなった美咲の頭を撫でながら聞いてみる。
「うん、満足ー」
ぎゅうっと、抱きしめられる。
その姿が可愛らしくて、俺は力を込めて抱きしめる。
「ううううー」
苦しいのか、嬉しいのか、さっぱり分からない幸せそうな呻き声を挙げた。
「……一体、どうしたんだ? いきなり」
顔と顔を近づけて、優しく問いかける。
美咲の、チワワのようなくりっとした瞳に俺が映っていた。
「別に、な、なんとなく」
「なんとなくだけであんなに抱きつくのか?」
「わ、悪い?」
「いんや、全然悪くないし、むしろ嬉しい」
「恥ずかしいこと言ってない?」
「美咲の行動よりは恥ずかしくないと思うんだけど」
「……むー」
「痛」
いきなり俺の頬をつねってきた。
「痛、マヂ痛いんですけどー」
俺に言われたことで恥ずかしさをやっと認識したのだろう。
それを隠すように、真っ赤な顔で俺の頬をつねり続ける。
「啓君が悪いんだよ」
「俺ですか」
明らかに自爆なのだが、それは声に出さない。
なんというか、その、怒った顔も可愛いのである。
「とりあえず、手、離してくれない?」
「え、あ、ごめん」
慌てた感じで手を離す美咲。
ひりひりと痛んだ箇所は熱を持っていた。
「あーあ、自転車も倒れちゃって」
我が愛車を回収するために抱きしめていた腕を外す。
「あ――」
途端、もの悲しそうな声を上げる彼女。
後ろ髪引かれながら地面にひれ伏したそいつを立ち上げる。
ストッパーを下げて、固定させた。
「これでよし、と」
視線を美咲に戻す。
そこには、なんとも、まあ、泣きそうな顔をした彼女がいたわけだ。
目に溢れんばかりの涙をためて。
「――美咲……」
自然と、抱き寄せていた。
どうしてそうしたのか良く分からない。
だが、まあ、そう。
本能的に。
腕の中で小さくなっているこいつが。
愛おしくて堪らなくなったんだろうな。
「啓、くぅん――」
どうせ、美咲のことだ。
素直に泣いた理由なんて話してくれないだろう。
こう見えても、割と剛情なやつだし。
まあ、それに。
その理由なんて、美咲のことだ、可愛らしく、愛おしくなるようなものに違いない。
だから、俺は何も聞かない。
今は言ってくれないだろうが、後になって言ってくれると信じているから。
その代わり、腕に力を込める。
そして、耳元で囁く。
「好きだよ、美咲」
すると、泣きじゃくりながらも彼女は言う。
「う、うん……私、も、好き、だよ」
ゆっくりと、顔を上げる。
目は真っ赤で鼻水は垂れていて、ひどい状態だった。
だが、それさえも好きになれるほど、俺は彼女を愛していた。
いや。
むしろ。
そんな顔でさえ見せてくれる彼女をますます好きになってしまったのだ。
俺はゆっくりと顔を近づける。
美咲もやがて目を閉じて、俺の唇を待った。
「……ん」
柔らかい感触に、暖かさ。
それに、垂れた鼻水のしょっぱい味。
唇を離す。
「あ、あは。き、キス……しちゃったね」
「そうだな」
別に二人ともこれが初めてというわけではない。
ただ、このような場所――野外で行ったことは一度たりともなかったのだ。
いつも決まって、俺の部屋でのみだった。
理由は深く言えない、各々が察してくれ。
「な、なんかもう、私、帰るね」
それじゃ、と言って、紅顔した美咲は俺の抱擁を振り払い、駆け出していった。
「まいったな」
帰り道が、まったく分からない。
一度ため息をついて、俺は浮ついた足取りで公園の出口へと歩き出した。
その二分後、自転車を公園に置いてきたことを思い出し俺は慌てて公園へと駆け出すのであった。
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