[お月見]

htmlで表示しています。
オフラインで読みたい人へ→お月見(右クリックで保存)

「月見ってさ、十五夜の後に十三夜を見るんだってね」
 先輩は少しだけ欠けた月を見上げながら呟いた。
 天文部の活動として屋上にいるけど、正直月が出てて活動どころじゃない。
「知ってる? 昔はね、十三夜を待つために長い長い祭りをしたそうだよ」
「いえ、知りません」
「そう。昨日の月見の時に月をみたでしょ」
「はい」
 冬が近いのだろう。
 一段と冷たくなった風が髪をなでた。
 もう夏は終わったのだ。
「その後にね、十三夜の月を見ないと『片見月』って言って縁起が悪いんだって」
「そうなんですか」
「うん、そう」
 設置したのに二人とも覗かない天体望遠鏡。
 出した意味はあるのだろうか。
 じっと見つめていただろうか、先輩が切り出した。
「あることに意味があるんだよ」
「どういうことですか?」
「ん、望遠鏡だしてなかったら天文部には見えないよね」
「あぁ、そういうことですか」
 アリバイ、大義名分。
 そんなのが詰まっていたのか。
 視線を再び空に向ける。
 明るすぎる月は夜の空でさえ青く見せる。
 そんな事を知ったのもこの先輩のおかげだ。
「夜でも同じ空、かぁ」
 思わず先輩の言ったことを反芻した。
 少しだけ青く見せる空。
 白い雲。
 そこは昼間と同じだ。
「どう、月が出てても面白いでしょ」
「はい」
 先輩も見上げているのだろうか。
 コンクリートに大の字に寝転んだ二人。
 強めの風がぱたぱたとスカートを揺らす。
 太ももに伸びてくる寒気の手が煩わしい。
「ねー、弥耶」
「なんです?」
「夜空の青さに気づいた人ってどれだけいるんだろうね。
 朝焼けにかかる虹に出会った人がどれだけいるんだろうね」
「うーん」
「目を凝らせば見えるものはいっぱいある。
 目をそらせば見れないものがいっぱいある。
 見ていても気づかないものがいっぱいある。
 そんなことを知っているのに、素通りしてしまう人がいっぱいいる。
 悲しいよね。
 夜の青さも、朝の七色もまるで涙。
 気づかなければ、見方が変わらないんだもの」
「涙、ですか」
「うん、涙。
 美しくて、悲しくて、儚くて、大切なもの。
 それに気づかない人は悲しい人だよ。
 人の涙に気づけないのは、ね」
「先輩は――いえ、なんでもないです」
 きっと何かあったのだろう。
 でも聞けない。
 夜の眼球から零れた涙が美しいから。
 悲しいから。
 儚いから。
 大切だから。
「弥耶はどう思う?」
「何をですか?」
「ん、今何を思ってる?」
「そうですね」
 視線は一ミリたりともそこから動かない。
「暖かいコーヒーが飲みたいですね」
「あはは。そうだね」
 先輩が起き上がった。
 それにつられて私も起き上がる。
 手早く身分証明証となっていたそれを片付ける。
「夜は冷えてきたもんね」
 先輩は一粒、夜空に真珠を投げた。
「ですね」
 その行く末を見つめて、私たちは屋上から出た。

(C)啓  無断転載、引用はご遠慮願います。