[正義の戦い]

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「悪い奴等と戦っているだけだよ」
 眼を細めて無邪気に笑う先輩。私はそれに対して思わず「は?」と素っ頓狂な声を出してしまった。
「う、嘘、ですよね?」
 子供のような笑顔を崩さずに先輩は「嘘じゃないよ」と言った。それを聞いて私はその顔が子供の、嘘をついて喜んでいるような顔に見えて仕方がなかった。
 確かに先輩は子供っぽいところがある。何かに夢中になると周りが見えなくなったり、他愛も無い悪戯をして大喜びしたり、くだらないことで拗ねたり。
 おおよそ大学受験を目の前に控えた人の性格じゃないと思う。それでも先輩と出会って一年ちょっと。その間に右に左にと振り回されたことも今では懐かしく、愛しいものだ。
「ねぇ、美樹」
 不意に真面目な顔を作って聞かれた。感情の浮き沈みが激しい先輩らしい。
「なんですか?」
 こう言わないと拗ねられる。これはその一年ちょっとで学んだことの一つだ。
「大学に行きたい?」
「当然です」そうでなければ学園(ここ)にいない。「先輩は――行きたくないんですか?」
「ごめん、聞き方が悪かったみたいね」そう言って困ったように笑った。
「私はどっちでもいいんだ。行っても行かなくても」言い切った先輩の顔はいつになく「素」だった。先輩はいつも感情を出す人だった。それが今、私の目の前で消えたのだ。足の裏から這い上がって来るような寒気を感じた。
「綺麗事言っちゃえば、大学は単なる保障とか建前。私以外の人に迷惑を掛けたくないから。私の夢、知ってるでしょ?」
 先輩の夢――一度だけ聞いたことがある。
「児童作家、ですね」それを聞いて先輩は一度頷いた。
「そう。でも児童作家というのも嘘に近くて、やっぱり私は単に作家になりたいのだと思う。そのために何をすれば良いのか、といえば簡単で生きて書けばいいんだ。じゃあ大学に行かなければいい、なんて言わないよね。この世界はそれほど甘過ぎはしない」
 確かに自分のしたいことをして生きていける人間は、それこそ才能に恵まれた一握りの人間だけだ。そんなことは高二(いま)の私でも解かる。
「私には才能が無いと思う。けど――自信ならある。書いたことのない人よりは書けるという自信が。人間の世界は本当に良く出来ていて、才能では食べていけるのに自信やプライドじゃ生きることもままならない」
「だから――大学ですか?」先輩はこくりと深く頷いた。
「さっきも言ったように、私には才能はないよ。だから好きなことだけをしては生きていけない。だったら、そう。『出来る限り好きなことをする』ことは出来る。そのために私は大学に行くよ」
「つまり、最低限の保障――ライフラインのために大学に行く、と。そういうことで?」 大きく頷いた。続けて私は言う。
「まあ、進路観は人それぞれですし、手段のための大学か目的のための大学かなんて私がとやかく言う筋合いはありません」
「勝手に悩んでろって?」そうです、と私は頷いた。
「しかし一年とちょっといて、私のことがよくわかるようになったね」先輩はまた困ったように笑った。
「しかし年下の私に進路相談されるなんて思いもよりませんでしたよ?」
「うーん、ばれ過ぎってのも嫌だねぇ」
「そういえば、結局『悪い奴等』って何なんですか?」
「ああ、それはね――」
 あれから、一年が経つ。
「悪い奴等と戦っているだけだよ」私が言うと後輩は不思議な顔をしていた。まるで一年 前の私のように。
「実はね――」
 あの時の先輩は私の質問にこう答えた。

「悪い奴等? それはね、私自身だよ。」

 あれ以上答えてはくれなかったけど、今なら全て解かる気がする。
「――悪い奴等は、私自身なんだ」言うと後輩は「は?」と素っ頓狂な声を出した。
「何ですか、それは」
「話すと長いけどね――私の一つ上の先輩が同じこと言ったんだ。」
「はぁ」
「その時は自分自身って言ったきりで何も教えてくれなかったけど、最近解かるんだ。ああこういうことだったんだって」
「で、結局何なんです?」
「うーん、それはやっぱり言わない方がいい。でも大丈夫。由梨香にも解かる日が来るよ」
「さっぱり解からない……」
「それでいいよ。今は」
 それに、今私の中で燻る感情は言いようもないし、伝えようも無い。
 そして言ったところで伝わりようも無い。
 思っただけで軽く力が抜けて心臓が高鳴るこの気持ち。
 先輩はあの後手段のための大学に行った。
 私は――どうだろうか。
 数ヵ月後のとある雑誌で私の名前は載るだろうか。
 私の進路はそれで決まる。
 一次通過なら階段を上り始めて、通過出来なかったら私は別の道を歩み始める。

私が戦うのは私自身。
もしかしたら、と期待する自分が悪者だ。
自分には、という自信はヒーローだ。
私は期待しない。ただ、小さな自信とプライドだけは信じる。

才能は、信じるものじゃない。覚醒するものだ。
自信から自然と生み出されるものだ。
最初から才能なんて有るわけがない。
自信から才能を見つけ出す――それが覚醒だ。

私が戦うのは私自身。
もしかしたら、と期待する自分が悪者だ。
自分には、という自信はヒーローだ。
私には自信がある。
ちっぽけな自信だけど、それで充分だ。

「由梨香、私の夢、覚えてる?」
「えっと――作家、ですよね」
「そう。作家」

 数ヵ月後、私の名前はあの雑誌に載るのだろうか。
 そして、先輩と同じように、才能を見つけ出して夢への道を歩めるだろうか。
 ――大丈夫。
 私には自信がある。

「でも、作家って才能がないと無理じゃありません?」
「大丈夫。私には私にしか書けないものがあるって自信が有るから――」

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