[メイドさんの魔法使い]

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メイドさんの魔法使い

 メイド、という職業がある。
 性と欲求の捌け口のように扱われている世界もあるという。
 あるいは崇拝してお金を出してまで拝む世界もあるという。
 どちらにしても、こちらに関係ない。
 だから耳を塞ごう。
 だから小さく蹲ろう。

「オラァ! 直人ォォォオオ!!! どこ行きやがったァ!?」
 ……ダメだ、耳を塞いでもあの馬鹿でかい声は嫌なくらいに鼓膜をびりびり言わせてくれる。
 真っ暗な物置の中で俺はさらに小さくなった。
 見つからないように、と願いを込めて。

 事の発端は何か忘れた。
 それくらいに瑣末な事なのだろう。
 一つだけ確かなのはアレがぶちキレたということだ。

「直人ぉぉぉおおお? 出て来いよぉ?」
 いいえ、出ません。
 だってその声、怒りに震えてるから。
「いい加減にしないとなぁ……ぶちキレんぞ?」
 もうぶちキレてるよ!
 成層圏の彼方まで行くくらいにボルテージがマックスですますよ!!
 ……いかん、俺も混乱しているようだ。
「なぁおぉとぉぉおおお!!」
 うわ、声が近くなった。
 下手に動いたら見つかるだろうし、このまま耐えるしかないだろう。
「知ってるかぁ?」
 か、かなり近くにいないか?
「暗い部屋でやって良いのはな……フィルムの現像と、レイプと、カイワレ大根の実験だぁ……」
 真ん中ぁ!!!
 真ん中おかしいだろ!!!
 同列にするなよ!!
 心の中で必死に突っ込みつつ目を瞑って願いを込める。
 どうか見つかりませんように!
「それとな」
「へ?」
 いきなりの衝撃に一瞬だけ思考が追い付かなかった。
 そして気付く。
「思いっきり襟首掴まれてるじゃん!」
「リンチだけなんだよ!!!」



  メイドさんの魔法使い  



 彼女、桐島聡子はメイドさんだ。
 一般家庭のウチに何故メイドさんが来たのかと言うと、まぁ一応親戚なのだ。
 母さんの姪っ子だかで、メイドになったからここで修行させてくれ、って感じで。
 んで「親類だから安心だわー、ついでに夫婦旅行行って来るわー」とか言いまして。
 そうしてこうなってしまったというわけです、はい。
 聡子さんはちょっと釣り気味の凛とした目が整った顔立ちを引き立てる、よく言う美人さんだ。
 平均身長よりほんの少しだけ小さい体躯に黒く艶やかなストレートの髪を背中の中ほどまで伸ばして結うことをせず、主張を控えているスタイルは逆にそそられるところがある。
 時代は巨乳じゃないね、スレンダーだよ。
 まぁ、そんな彼女はとりあえず性格がぶっ飛んでいる。
 どこまでぶっ飛んでいるかと言えば、魔法が使えることだ。
 まぁ、それだけならいい。
 それだけなら。
 魔法少女にメイド、これは定石、基本、テンプレ。
 だけど、彼女。
 それ以上に肉弾戦が強いのだ。
 性格は粗野というか荒っぽいというか、よく言えば姉御肌。
 なまじ小さい美人さんなのだが、やばい。
 舐めてかかると一生流動食だ。
『活人剣ってあるよな、活人剣。人を生かす剣ってやつ。つまり私はそれだよ。殺しはしないんだからさ』
 そう言いのけた瞬間、戦慄のようなものが身体中を駆け巡ったのはいい思い出だ。
 ああ、あの時から全てが狂っていたのかもしれないな。

「リンチだけなんだよ!!!」
 襟首を掴まれ、強制的に聡子さんを見つめてしまう。
 一瞬の事で抵抗も忘れ、ただ為されるがまま。
 中途半端にぶら下がった腕を動かすことも出来ない。
 視界の端で聡子さんの左腕が唸るのを見た。
 それで意識が飛んだ。
 と、思った。
「回復ゥ!!!」
「ちょ、それありかよ!!!」
 突っ込んだ瞬間に激痛が思い出したように走る。
 頭はぐわんぐわんしてるし、殴られたのか。
「殴る、魔法で回復する、なんて永久機関!」
「い、痛みは残るんだよ!!」
「痛みが残ってたら体罰じゃねぇだろうが!!!」
 また意識が一瞬だけ飛んだ。
 そして魔法ですぐに復活。
 怪我もない。
 痛みだけが残る。
「オラオラオラオラァッ!! 魔法を身を以って体験出来るなんて光栄だよなぁ!!?」
 襟首を掴まれ休み無き左の連打で喋る隙も与えられない。
 意識が飛べば直ぐに魔法で回復。
 怪我をしても魔法で回復。
 鬼だろ!
「ぶふぇっ、とブフォッ……ざどござん……あ゛ッ!!!」
 頭を散々殴ったと思ったら、こんどはボディっすか!!
「あぁん? 何か言ったかボンクラァ!?」
 その間も連打は止まらない。
 走り出した乙女は止まることを知らないのだ。
「ボぅぐっ!! ボ、ディは……吐グウォッ!!」
「あぁ、そうか、吐くのか、吐くのか」
 二回も言うなよ。
 突っ込もうにも連打は止まらないし、胃から込みあがってきた熱い情熱は止められない。
「吐いたら魔法で戻してやんよ!!」
 鬼だろ!!!!!

 一体どれだけ殴られたのか。
 この通りに身体はピンピンしてるし、怪我は一つもない。
 節々は痛いような気がするけど、本人曰く気のせいらしい。
「キンタマ蹴られた映像見たら何となく痛くなんべ? それと同じだ」
「女性としてその例えはどうかと思うけど、分かりやすいだけに否定しづらい」
「直人はいちいち突っ込まなければ喋れないのかよ」
「喋れるよ!」
「ほら、また突っ込みっぽい」
「……突っ込まれるような言動をするからだよ」
「はン、直人が私に突っ込むなんて童貞を卒業してからにしろ」
「そっちじゃねぇよ!! 分かってて言うなよ!!」
「あはははは。そうでなくっちゃぁな」
 ぽんぽんと俺の肩を叩いて豪快に笑う。
 畜生、この人さっきまで殺気バリバリだったっていうのに、もう笑顔だよ。
 タイマンはったらダチかよ、80年代の青春かよ、夕日に向かって走っちゃうのかよ。
「そう言えばさ、なんで冬子さん怒ってたの?」
「あぁ? あー、それは直人が私のプリン食ったからだろ」
「それだけであの仕打ちかよ!!」
「いーじゃねぇか、どうせ怪我一つないだろ?」
「確かにないけどさ、でもそういう問題じゃないでしょ?」
「まーた小難しいことを言う、いいんだよ、それで。割り切れないと将来ハゲんぞ」
「……ベツニイッカー」
「そーだ、別にいいんだよ。んで私のプリンなんだがな」
「アレで済ます気はないのか!」
「あぁ? 直人が勝手に私のプリンを食ったことはあれで済ました。それは罪だから。罪には罰が必要だ。
 そして今、ここに存在するはずだったプリンがない。これは害だ。害には賠償が必要だろ?」
「滅茶苦茶だよこの人」
「あぁん? 何か言ったかボンクラ?」
「ボンクラ言うなよ」
「ボンクラはボンクラだっつってんだよ。冷蔵庫のプリンが誰のかまで確認出来ないようなヘタレにはボンクラがお似合いなンだよ」
「敢えて突っ込むけど、ンを強調するのは強引なキャラ作りだからやめたほうがいいよ」
「おおう、私の話のレス一つなく突っ込みだけか、これだからボンクラは」
「はいはい、ボンクラですよ。お小言はいいから、買ってくればいいの?」
「ん?」
「だから、プリン」
「あぁ、そうだな……久しぶりに作れ」
「滅茶苦茶だよ、やっぱり」
「なんか言ったか?」
「いや、それじゃ作ってくる」
「あ、直人」
「うん?」
「カラメルはたっぷりな」
「……カラメルで鍋焦がすぞ」
「そうしたら顔が映るまで磨くんだな」
「普通に作ってくらー」
「おー」

 プリンの作り方なんて簡単なものだ。
 卵黄と牛乳、バニラエッセンスを混ぜて蒸せばたんぱく質が固まってぷるぷるになる。
 それだけのことだ。
 一応電子レンジでも作れるのだが、良い子は普通に蒸そうね。
 カラメルの作り方なんて砂糖が焦げた水分の多い水あめだ。
 こういうダイナミックな解説で分かるだろうか。
 分かる人は料理をしたことある人だと思う。

「っというまに出来ましたっと」
「お、出来たのか」
「冷やさないと甘い茶碗蒸しだよ」
「……うん、待つ」
「うん、素直でいいね」
 思わず頭を撫でたくなるが我慢する。
 この人は年上なんだから。
 つか、そんなことしたらまた殴られる。
 聡子さんはリビングのソファにもたれかかり、嫌に馬鹿でかいジョッキでビールを……は? ビール?
「聡子さん仕事中なんだからビール飲まないでよ!」
「仕事仕事って、私は仕事でここに来てるんじゃねぇんだよ」
 ず、頭痛がする。
 それじゃあこの人は何のためにここに着たんだろ。
「ぷはーっ、やっぱ美味ぇなぁ。真昼間から飲む酒は違うね」
「どんだけ自堕落なオヤジなんですか……」
「あ? なんか言ったか? あぁ?」
「いや、なんでもないっす。だから握りこぶしを見せないでってぶはっ!」
「オリャオリャッ!」

 我が家にはメイドさんがいる。
 それも魔法使いだ。
 ちょっと……いや、かなり乱暴だけどいい人なんです。
 ……たぶん。

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